日本全土を指す「六十余州」の謎とは?令制国の歴史と広重の名画を解読

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日本全土を指す「六十余州」の謎とは?令制国の歴史と広重の名画を解読
日本全土を指す「六十余州」の謎とは?令制国の歴史と広重の名画を解読
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🎵 日本全土を指す「六十余州」の謎とは?令制国の歴史と広重の名画を解読

大河ドラマや歴史小説、さらには銘酒のラベルなどで目にする機会の多い「六十余州」という言葉。「日本全国」を意味する雅称として古くから親しまれていますが、なぜ「六十余」という曖昧な表現が定着したのか、正確な理由を即答できる人は多くありません。

古代の律令国家形成から江戸時代の庶民文化、そして明治の廃藩置県に至るまで、この四文字には日本の地理と統治の変遷が凝縮されています。今回は「六十余州」の言葉の由来や令制国の全貌、現在の都道府県との違い、さらには歌川広重の名作浮世絵『六十余州名所図会』の魅力まで、歴史の裏側を紐解きながらわかりやすく整理します。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:「六十余州」は古代律令制の行政区画「66国2島(計68国)」に由来し、日本全土を指す雅称として定着した
  • 要点2:「五畿七道」の枠組みに基づき全国が区分され、明治の廃藩置県を経て現在の47都道府県へと再編された
  • 要点3:歌川広重の晩年の傑作『六十余州名所図会』は全68国+江戸の名所を描き、当時の地理ブームの最高峰となった

【言葉の基礎知識】「六十余州」の読み方と意味|なぜ日本全土を指すのか?

「六十余州」の読み方は「ろくじゅうよしゅう」です。言葉の意味はシンプルで、「日本全国」や「日本全土」を指します。

ここで使われている「州」という漢字は、もともと古代中国の行政区画に由来するものです。日本に律令制度が導入された際、行政単位である「国(令制国)」の雅称・別称として「州」の文字があてられました。例えば、山城国を「城州」、武蔵国を「武州」、尾張国を「尾州」、薩摩国を「薩州」と呼ぶ習わしがその代表例です。

つまり「六十余州」とは、「60余り存在する日本の国々=日本全土」を詩的かつ壮大に表現した言葉なのです。

【疑問を解明】なぜ「60余り」と曖昧なのか?令制国の数と歴史の変遷

「正確な数が決まっているなら、なぜ六十八州や六十六州と言わなかったのか?」という疑問を抱く方も多いはずです。その背景には、古代から中世にかけての行政区画の確定と定着のプロセスが深く関係しています。

飛鳥時代から奈良時代にかけて制定された「大宝律令」(701年)や「養老律令」(757年)によって、大日本国の統治体制として令制国が整えられました。設置当初は境界の変更や新設・統合が頻繁に行われ、国の数は時期によって増減を繰り返していました。

平安時代中期に編纂された法典『延喜式』(927年)の段階で、日本の行政区画は「66国2島(壱岐・対馬)=実質68国」として固定化されます。この「66」あるいは島を含めた「68」という数が「60よりも少し多い」ことから、慣用表現として「六十余州」という呼称が広く使われるようになりました。

端数をあえて厳密に固定せず「余州」としたことで、端境期の区画変更を吸収しつつ、響きの美しさと広大さを兼ね備えた言葉として定着したと考えられています。

【完全網羅】五畿七道と「令制国(旧国名)一覧」&現在の都道府県対応表

律令制下の日本は、中央集権統治を円滑に行うため、都を中心とする「畿内(五畿)」と、そこから四方に伸びる幹線道路網に沿った「七道」に区分されました。これがいわゆる「五畿七道(ごきしちどう)」です。

以下に、六十余州を構成した68国(66国2島)と、対応する現在の都道府県を整理しました。

【畿内(五畿:5国)】
・山城(やましろ):京都府南部
・大和(やまと):奈良県
・河内(かわち):大阪府東部
・和泉(いずみ):大阪府南部
・摂津(せっつ):大阪府北部・兵庫県南東部

【東海道(15国)】
・伊賀(いが):三重県西部
・伊勢(いせ):三重県中北部
・志摩(しま):三重県東南部
・尾張(おわり):愛知県西部
・三河(みかわ):愛知県東部
・遠江(とおとうみ):静岡県西部
・駿河(するが):静岡県中部・北東部
・伊豆(いず):静岡県伊豆半島・伊豆諸島
・甲斐(かい):山梨県
・相模(さがみ):神奈川県(横浜・川崎の一部を除く大部分)
・武蔵(むさし):東京都・埼玉県・神奈川県北東部
・安房(あわ):千葉県南部
・上総(かずさ):千葉県中部
・下総(しもうさ):千葉県北部・茨城県南西部
・常陸(ひたち):茨城県の大部分

【東山道(8国)】
・近江(おうみ):滋賀県
・美濃(みの):岐阜県南部
・飛騨(ひだ):岐阜県北部
・信濃(しなの):長野県
・上野(こうずけ):群馬県
・下野(しもつけ):栃木県
・陸奥(むつ):福島県・宮城県・岩手県・青森県・秋田県北東部
・出羽(でわ):山形県・秋田県(北東部除く)

【北陸道(7国)】
・若狭(わかさ):福井県南部
・越前(えちぜん):福井県北部
・加賀(かが):石川県南部
・能登(のと):石川県能登半島
・越中(えっちゅう):富山県
・越後(えちご):新潟県本州部分
・佐渡(さど):新潟県佐渡島

【山陰道(8国)】
・丹波(たんば):京都府中部・兵庫県東部
・丹後(たんご):京都府北部
・但馬(たじま):兵庫県北部
・因幡(いなば):鳥取県東部
・伯耆(ほうき):鳥取県西部
・出雲(いずも):島根県東部
・石見(いわみ):島根県西部
・隠岐(おき):島根県隠岐諸島

【山陽道(8国)】
・播磨(はりま):兵庫県南西部
・美作(みまさか):岡山県東北部
・備前(びぜん):岡山県南東部・香川県直島諸島
・備中(びっちゅう):岡山県西部
・備後(びんご):広島県東部
・安芸(あき):広島県西部
・周防(すおう):山口県東部
・長門(ながと):山口県西部

【南海道(6国)】
・紀伊(きい):和歌山県・三重県南部
・淡路(あわじ):兵庫県淡路島
・阿波(あわ):徳島県
・讃岐(さぬき):香川県
・伊予(いよ):愛媛県
・土佐(とさ):高知県

【西海道(11国:9国2島)】
・筑前(ちくぜん):福岡県西部
・筑後(ちくご):福岡県南部
・豊前(ぶぜん):福岡県東部・大分県北部
・豊後(ぶんご):大分県の大部分
・肥前(ひぜん):佐賀県・長崎県(離島除く)
・肥後(ひご):熊本県
・日向(ひゅうが):宮崎県・鹿児島県一部
・大隅(おおすみ):鹿児島県東部・奄美諸島除く離島
・薩摩(さつま):鹿児島県西部
・壱岐(いき):長崎県壱岐島
・対馬(つしま):長崎県対馬

【歴史の転換点】幕末から明治の「廃藩置県」へ|旧国名から都道府県への変遷

千年以上もの長きにわたり日本の地域区分の基盤であり続けた六十余州ですが、近代化の荒波とともにその役割を終えることになります。

江戸時代、実質的な統治は幕府と各藩によって分断されていましたが、地理的な共通認識としては依然として令制国が使われていました。しかし、明治維新を迎えた1871年(明治4年)の「廃藩置県」によって、中央集権化を目指す新政府は藩を廃止して「県」を設置します。

当初は300以上あった府・藩・県は統廃合を繰り返し、1888年(明治21年)頃までにほぼ現在の「47都道府県」の枠組みへと整理されました。旧国名がそのまま県名に引き継がれなかった背景には、特定の藩の影響力を弱める政治的意図や、県庁所在地の都市名を優先したことなどが挙げられます。

なお、明治政府は1869年に蝦夷地を「北海道」と改名して11国を置き、東北の陸奥・出羽を分割(陸前・陸中・陸奥・岩代・磐城、羽前・羽後)したため、一時的に令制国は84国まで増加しましたが、行政単位としての実効性は次第に失われていきました。

【浮世絵と旅】歌川広重の傑作『六十余州名所図会』に見る江戸時代の地理と名所

江戸時代後期、太平の世が続き庶民の間で旅への憧れが高まる中、風景画の巨匠・歌川広重が手がけた連作浮世絵が『六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)』です。

嘉永6年(1853年)から安政3年(1856年)にかけて刊行されたこの作品群は、五畿七道の68国に江戸を加えた計69の名所(目録を含め全70図)を縦構図でダイナミックに描いた名作です。

広重は『東海道五十三次』のような横構図ではなく、縦長の画面を大胆に使い、近景を大きくデフォルメして遠景と対比させる革新的な構図を生み出しました。阿波の「鳴門の風波」の激しい渦潮、伯耆の「大山遠望」の雄大な雪景色、美作の「山伏谷」の峻険な山道など、日本各地の自然美や名勝が鮮やかに描き出されています。

当時、庶民にとって日本全国を自分の足で巡ることは極めて困難でした。そのため、広重の『六十余州名所図会』は単なる美術品にとどまらず、居ながらにして日本全土を旅する気分を味わえる「ビジュアル観光ガイド」として爆発的な人気を博したのです。

【現代に残る痕跡】日常に息づく旧国名と旅・歴史探訪の新たな楽しみ方

廃藩置県から150年以上が経過した現在でも、「六十余州」の旧国名は私たちの生活の至る所に深く根付いています。

JRの駅名を見ても、「武蔵小杉」「信濃町」「越後湯沢」「伊予松山」「筑前前原」のように、同名駅との重複を避けるために旧国名を冠した駅が全国に数多く存在します。また、「讃岐うどん」「信州そば」「近江牛」「越前ガニ」といった地域ブランドの特産品や、「駿河湾」「相模湾」といった海洋・地形の名称にも色濃く残されています。

現代の都道府県という枠組みだけでなく、その下層にある「六十余州」の歴史的文脈を知ることで、旅行先での風景や食文化の成り立ちがより立体的に見えてきます。かつての人々が思い描いた「日本全土」のスケール感を感じながら各地を旅することは、知的好奇心を満たす上質な体験となるはずです。

【六十余州】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:「六十余州」と「四十八手」や「八百八町」のような言葉の共通点はありますか?
A1:いずれも江戸時代やそれ以前から使われている、実数をもとにしつつ全体の広大さや多さを表す伝統的な数表現です。ただし、「八百八町」が漠然とした多さを誇張する表現であるのに対し、「六十余州」は律令制に基づく「66国2島(計68国)」という明確な歴史的根拠が存在する点が異なります。

Q2:北海道や沖縄は「六十余州」に含まれますか?
A2:古代から江戸時代までの伝統的な「六十余州」には含まれません。北海道(蝦夷地)に令制国11国が置かれたのは明治2年(1869年)であり、沖縄(琉球王国)が沖縄県として編入されたのは1879年(明治12年)の琉球処分以降です。

Q3:日本酒の銘柄に「六十余洲」という名前があるのはなぜですか?
A3:長崎県波佐見町の蔵元・今里酒造が醸造する銘酒「六十余洲」が有名です。江戸時代後期に「日本全国の津々浦々まで美味しい酒を届けたい」という志を込め、当時の日本全土を指す言葉から命名されたと伝えられています。

まとめ:六十余州の地理と歴史を知れば日本がもっと面白くなる

何気なく使われる「六十余州」という言葉には、古代律令国家の誕生から脈々と受け継がれてきた日本の国土形成の歴史が息づいています。68の国々が育んできた独自の風土や文化は、現在の47都道府県の境界線を越えて、今なお各地の食、言葉、産業のアイデンティティとして輝きを放っています。

広重が浮世絵に込めた旅への情熱や、各地に残る旧国名の足跡に目を向けることで、いつもの見慣れた景色もまた違った深みを持って迫ってくるはずです。歴史と地理の交差点にある「六十余州」の物語を、ぜひ次の旅や学びのきっかけにしてみてください。 (出典: 六 十 余 州(Yahoo!ニュース)

六 十 余 州
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